消費者の価値意識の分析を20年以上重ねていると、価値観の趨勢が変わる時を実感することがある。まるで、海で寒流と暖流の出会う付近などに見られ、海面に現れる帯状の筋、すなわち、潮目を見つけた時のようだ。今はまさにそんな時だ。海の潮目がよい漁場であることが多いように多くの顧客を獲
得できる機会でもありそうだ。
こうした価値意識の変化に潮目が見られるのと軌を一にして、消費意識もまさにジレンマ状況にある。多くの消費者のマインドは堅実と浪費の挟間にある。雇用が増え、正社員化の動きも見られ、収入は上昇しないまでも安定的に推移しているなかで、衝動的な浪費も楽しみたいが、貯蓄を増やす堅実な態度も崩さない。
このような潮目には、マーケティングと戦略の巧拙で得られる成果も大きな違いを生む。何よりも大切な成功のポイントは、変わる価値意識の潮目をそれぞれの市場の現場で見極めることである。
第一論文は、「2008年の消費をどう読むか」、価値意識の潮目と変化の背景を読み解く。
第二論文は、消費の主役が交代する中で、誰をターゲットとすればよいのか「消費リーダーと市場の攻め口」としてまとめた。
三つめは、「顧客づくりのマーケティング」と題した提言論文である。どのようにして顧客を説得するか、さまざまな事例を紹介しながら、その切り口を提案する。
最後に、「ラボ・マーケティングのご提案」として、心理学、経済学などの知見をリサーチに応用した実験研究の取り組みを紹介する。
なお、これらは、昨年11月に開催されたフォーラム「NEXT VISION2008」の中から四つの講演の講演録に加筆修正したものである。
2008年の消費をどう読むか、「消費社会白書2008 -多極化する消費 すすむ趣味の階層化」の分析を通じて発見できたことの中から、三つに
絞ってご紹介します。
ひとつめは、価値観の潮目が変わってきていることです。「自己実現志向」に代わって、「公益志向」の価値意識が大勢を占めるようになってきま
した。
ふたつめにこのように価値意識が揺らぐ中、消費意識もジレンマの状況にあります。消費者のマインドは、堅実と衝動の狭間で揺れ動いています。
最後に、このようなジレンマを解く鍵として、趣味をベースにした階層的ライフスタイルがあるということです。
まずは現在の消費動向については、民間最終消費支出とGDPの伸び率の推移をみると、ここ2〜3年は、堅調に推移してきました。
今後の見通しは、賃金の伸び悩みやガソリンや食品など様々な商品の値上げによって消費意欲が冷え込むおそれが出てきています。しかし、消費
にもっとも強い影響を与える雇用見通しが悪くないことから、当面は底堅く推移するとみています。
(1)強まる公益志向
消費の底堅い傾向が続く中、価値観の潮目が変わってきています。
消費者の価値観を捉えるため、61の質問項目をもとに因子分析を行いました(図表1)。
消費者の価値観の方向性として、もっとも大きな部分を占めているのが「公益志向」です。
- ■ 地球環境の保護のために取り組みたい
- ■ ものの豊かさより心の豊かさが大事だ
- ■ 義理や人情を大切にしたい
など、地球や社会、家族との共存共栄を求め、競争よりも協調を重視する価値観が消費者の意識の主流を占めています。
2004年からの価値観の変化方向を辿ると(図表2)、「公益志向」には多少の山谷はあるものの大きな変化はありません。一方、自分の能力や可能性を追求していく「自己実現志向」が低下していることがわかります。
「自己実現志向」優位から「公益志向」へと、価値観の潮目が変わってきた、と捉えることができます。
このような変化はどうして起きたのか。大きく六つの要因が考えられます。
(2) 価値意識変化の要因
1)成熟社会化
まず要因のひとつめは「日本は成熟国である」ということです。
「自己実現志向」の強さを日米中の三カ国で比較すると、中国が突出して高く、日米が相対的に低い傾向にあることがわかりました。「自己実現
志向」は中国などの成長国で強く、日本や米国のようなある程度成熟した社会では弱まる傾向にあるのではないかと推測されます。
1970年代からの日本の収入階層の変化をみると、「中流層」にあたる現在の世帯年収300〜1,000万円に相当する世帯比率は1970年に6割だったものが70年代前半、一気に上昇し、1976年には8割が中流にあたる社会となっています。1976年から30年経った今でも変わらず、人口の9割が中流という状況が長く続いています。
このように、日本は大部分の人が「中流層」として安定した成熟社会であり、階層を突破して上にあがろうという「自己実現志向」よりも、平等
で安心・安全な社会で暮らしたいという「公益志向」の方が主流となりやすいと考えることができます。
2)日本人の平等志向
ふたつめに文化として深く根付いている「平等志向」をご説明します。
「最後通牒ゲーム」という行動経済学のモデルを用いて、日米中の消費者の潜在意識を捉えようと試みました。「最後通牒ゲーム」とは、ふたり
のペアに一定の金額を渡し、ふたりの中で自由に分けてもらう、というゲームです。
一方の人が分ける比率を決め、もう一方の人がその分け方を「受け入れるか/受け入れないか」を判断します。受け入れた場合はその配分比率に
従った金額をそれぞれがもらうことができますが、受け入れない場合は、双方とも1円ももらえない、というルールです。経済的に考えると、
「受け入れない」と1円ももらえないため、相手はいくらであっても受け入れるのが正しいことになります。
実際に、「自分が分け方を決める立場だったら、いくらずつに分けますか?」という質問をすると、日米中ともに5:5の配分を選ぶ人が大半を占め
ました。与えられたものは、まず「公平」「平等」に分けるのが人間としての習性なのかもしれません。
ただ、日米中で差が出てきたのが、相手から提案される金額がいくらまでだったら受け入れるか、という点です(図表3)。
日本では、全体額1,000円のうち、350円はもらえないと拒否する、という結果になっています。
またその理由も、相手に対して「不信感を感じる」としているのが特徴的です。
このことから、日本人は不平等な結果を受け入れず、周りに対しても強く平等性を求める傾向にあることがわかります。
3)高齢化
三つめは、高齢化です。
1960年に5.7%であった65歳以上の人口は、2010年には23.1%になると予測されています。年代が高くなるほど、社会をよりよくしていきたいとい
う「公益志向」の価値観の方が強まり、「自己実現志向」が弱まっていくのが人間としての習性でもあります。
人口ボリュームとして、今後「公益志向」の強い高齢層の比重が増していくということ、そしてそのような社会の中にいることで、「公益志向」
が主流の価値観としてさらに消費者全体を引っ張っていくことも考えられます。
4)落ちていく日本
GDPの総額では日本は米国に次ぐ第2位となっています。しかし、それを一人当たりのGDP金額に直すと、なんと日本は20位となってしまいます。2005年には14位であったものが、2006年になって、さらに六つランクを落としたことになります(図表4)。
日本の世界における相対的な地位の低下が、前向きな「自己実現」よりも、安定を求める「公益志向」を後押しし、価値観に影響を与えている可能性があります。
5)格差意識の浸透
五つめは、最近注目を集めている「格差(社会)」です。9割の人が「日本に格差がある」とし、その格差は「今後ますます広がっていく」と考えています。これは、昨年と比較してもさらに強まっている傾向です(図表5)。
しかし、その格差の受け止め方が変わってきました。昨年と比較して「収入や資産の格差が広がっていくのは仕方がない」という意見に対して「そう思わない」、つまり「仕方なくはない」と答える人の比率が上昇、「機会が平等であれば結果に差がついても構わない」と答える人の比率は10ポイントも減少しています。ここにきて、格差に対する抵抗感が生まれてきたといえます(図表6)。
なぜこのような変化が起きたのか。昨年と比較すると、格差の要因となっているものとして「住んでいる地域」や「政府の政策」をあげる人が増えています。
「格差は自分の努力ではどうにもならない、住んでいる地域や失策のせいなのだ」、そう捉えられるようになったために、広がる格差への反発が生まれたのだと推測されます。
この間、マスコミでも「都市と地方の格差」が言われ、昨年7月に実施された参議院選挙でも争点となっていました。しかし、本当に「都市と地方の格差」というものが問題なのでしょうか。
職業別、居住地別に年収を比較すると、正規雇用の会社員なら都市と地方で差は71万円、もっとも大きいところでも派遣・契約社員の160万円の差です(図表7)。
それよりも、都市内、地方内での雇用形態による収入格差の方が、都市部で414万円、地方で443万円と大きいことがわかります。
この間、不況を通じて雇用の多様化が進展し、正規雇用と非正規雇用の格差が拡大しました。また、伸びる産業とそうでない産業の明暗も分かれてきました。都市と地方の格差は、地域によって産業立地が異なるため、このような格差が二次的に反映されて生まれてきたものと考えられます。
6)自己実現志向の変質
そして最後、六つめの要因は「自己実現志向の変質」です。小泉純一郎元首相は、「失われた10年」といわれる90年代の閉塞感を打ち砕くような「構造改革」「規制緩和」「自民党をぶっ壊す」という発言で若年層まで含めた広い層の賛同を得ました。これが契機となって、実力主義への流れを生んでいったと考えられます。
そして現れたのが、ホリエモン(堀江貴文・ライブドア前代表取締役社長兼CEO)、村上世彰(通称「村上ファンド」の創設者)に象徴される、やや拝金主義的な自己実現志向です。しかし、この2名にまつわる事件にも顕れているように、この流れは定着しませんでした。ここから自己実現志向が、「自分主義的」なもの、悪いものとして捉える見方もされるようになり、自己実現が変質してきたと捉えています。
弊社では、自己実現がふたつの流れに分かれたのではないか、という仮説をもっています。ひとつはホリエモン、村上の流れを組む、自分中心的な「悪い子」的自己実現です。
「悪い子」的自己実現志向は、例えば、タレントの沢尻エリカやボクシングの亀田大毅などをイメージしてもらえればと思います。自分の可能性、私益を追求するあまり、周りに対する気配りがなくなり、「悪い子」と捉えられてしまった自己実現です。
もうひとつの自己実現の流れが、より健全な「立身出世」です。例としては亀田大毅の対戦相手、内藤大助選手が挙げられます。貧乏な幼少期を過ごし、地道にコツコツと積み上げて、自分の可能性を追求していくというイメージです。同様に、宮里藍(女子ゴルフ)も、いつも笑顔、前向きに努力し、ファンや周りに対する気遣いも忘れない。健全な自己実現、立身出世の典型です。
このように、自己実現志向が自分主義的「悪い子」と立身出世的「いい子」に分裂してしまったことにより、公益志向の潮流に対して、相対的なパワーが弱まってきたのだと考えられます。
具体的な例としては、ノーベル平和賞を受賞した元アメリカ副大統領のアル・ゴア氏や、気候変動に関する政府間パネル、IPCCの議長であるインドのパチャウリ氏が挙げられると思います。個人の利益よりも地球全体の利益、という意識です。
「公益志向」が優勢になっている今、「公益志向」と「自己実現志向」の勢力争いが今後どうなっていくのか、見極めが重要な時期になっています。
価値観が揺らぐ中、消費者のモノやサービスの選び方の前提となる消費意識はどうなっていくのかというと、消費意識の主流は、堅実的な意識になっています。(図表8)
- ■ 自分の預貯金が増えていくことが単純にうれしい
- ■ 分相応なものを選ぶべきだ
- ■ 欲しいものはお金を貯めてから買う
- ■ お金はなるべく使わずにすませたい
- ■ お金を使うことには慎重な方だ
といった、堅実な意識が過半数を占めています。一方で、消費に積極的な、
- ■ お金を使うと何となく気分がスカッとする
- ■ 自分はよく浪費している
- ■ 衝動買いが多い
といった項目は、堅実的な意識と比べて低水準にあることがわかります。
価値観と同様に因子分析の手法を用いて潜在的な意識の方向性をみると、主流を占めるのは「消費衝動」です(図表9)。
現在の消費は、表面上は堅実、しかし、潜在的には消費衝動が潜む、ジレンマの状況にあると考えられます。
「堅実志向」として最近話題となっている20代の「貯金を増やしたい」「高価な車はいらない」といったミニマムライフもこのような潮流の現れと見ることができます。
一方の衝動消費ですが、約6億円を投入したといわれるタレント神田うのの結婚式がその典型です。結婚式で使用したティアラは3億円、自身がデザインしたドレスは4,000万円、身につけた宝石は合計105カラット、「感謝祭」と銘打った披露宴ではドン・ペリのロゼ(「ドン・ペリニヨンロゼ1996」メーカー希望小売価格1本4万6,200円)を一気飲み、と衝動消費を体現していました。
このように、表面的な堅実と、潜在的な衝動が消費者の心の中でせめぎあっている、それが現在の消費の状況と捉えられます。
ジレンマ状況にある消費を解くにはどうすればよいか。近年高まっている「趣味化」、そして「階層化」が今後のライフスタイル提案の鍵になると考えています。
弊社では2005年から、商品のこだわり選択が広がっていることを指して「趣味化」と呼んでいましたが、それがさらに拡大しています(図表10)。
2割以上の人が「自分なりの選択基準やポリシーを持っている」領域の数は、2006年ではファッションと情報通信機器・サービスの2領域のみでした。それが、今年2007年はアルコール飲料、国内旅行、食品、音楽など10領域に及びます。
趣味化がさらに広範に広がってきたということです。このような趣味化を牽引するのは成熟層である、ということもわかっています。
年代別にみると、男性では60代、女性では40〜50代で領域数が多くなっていることがわかります(図表11)。
また、男性の10代はアニメ・漫画とゲーム、60代は国内旅行と園芸、といったように、年代によって趣味化が確認できる領域が異なる、というのも面白いポイントです。
趣味化の進展に加えて、「よりランクが上の商品を使いたい」といった、自身の目指す階層を商品選択に反映させる、「階層化」という現象もみられるようになってきました。
図表12は、男性と女性に分けて、各商品領域の選好の方向性をそれぞれマッピングしたものです。横軸が趣味性、縦軸が階層性の強さを表して
います。
男性は「アルコール飲料」「情報通信機器」「AV機器」など趣味性が高い領域はあるのですが、階層性が強い領域はほとんど確認できません。
一方、女性は「ファッション」「宝飾品・アクセサリー」「化粧品」など、趣味性だけでなく、階層性も強い領域が見られます。
男性は趣味化、女性は趣味化と同時に階層化が進んでいることが考えられます。
趣味性と階層性を実現した商業集積の典型例が銀座のブランドビルです。
銀座の中心部には、1996年開店のティファニーをはじめとして、2000年に入ってからシャネル、グッチ、カルティエ、エルメスなどさまざまなブランドビルが競うように建てられてきました。ビルにはそれぞれのブランドのこだわりが発揮されており、エルメスのビルは屋上に馬のモチーフ、カルティエのビルは全体を金色で統一するなど、それぞれ独自の工夫がみられます。アルマーニのブランドビルは、12階建てのビルにおいて、メイン商材である衣料品のほかにも、家具、雑貨、レストラン、ナイトクラブ、スパなど、さまざまな商品・サービスを提供しています。衣・食・住、すべてをアルマーニで統一する、「アルマーニライフスタイル」とも呼べるものを提案しています。
このような趣味化、そして階層化が、ジレンマ状況にある消費を刺激し、財布の紐を緩めることになると考えられます。
最後に、ご提案したかった三つのポイントを振り返ります。
ひとつめとして、価値観の潮目が変わってきている、自己実現志向が弱まり、公益志向が主流となってきましたが、今後、価値観のトレンドがどちらに動くか、どちらの流れにのるか、その見極めが重要です。
ふたつめは、価値観が潮目で揺らぐ中、消費も「堅実」と「衝動」の間でジレンマの状況に陥っている、ということです。
そして最後に、このジレンマ状況を解く鍵として、ライフスタイルの趣味化と階層化の進展についてお話させていただきました。
ご静聴ありがとうございました。(松本)
(本稿は、講演録をもとに加筆修正したものです。講演に際しては、弊社代表松田の多大なる助言を得ています。)
※本提言論文は、「営業力開発」誌 2008・No198号(編集発行:日本マーケティング研究所 執筆担当:JMR生活総合研究所)へ掲載されています。
誌面では以下の様な構成にて続いております。
U.消費リーダーと市場の攻め口
V.顧客づくりのマーケティング
W.ラボ・マーケティングのご提案
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