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消費回復下のマーケティングチャンス

マーケティングチャンスである。
消費回復基調が顕著になってきた。今回の消費回復の図式は、従来とはやや異なる。というのは、従来型の所得に依存した消費回復ではないからだ。大企業の業績が回復したといっても給与にすぐさま跳ね返るわけでもない。将来不安がなくなったわけでもないし、むしろ年金問題など不安はより増しているくらいだろう。
今回の回復は「マインド主導の回復」といわれている。たとえば、株価上昇や大企業を中心とした企業業績が好転しているといった明るいニュースや、デジタル家電などの新製品がヒットしているという情報が次々と出回ることで、期待感や高揚感が生まれ、さいふのひもがゆるみ、消費拡大に結びつくというものだ。家計消費が景気回復を牽引しようとしている。

弊社消費者調査によると、今後の景気について明るい見通しをもっている人が34%、悲観的な人が30%、のこりが判断保留である。楽観派と悲観派のつなひきが、楽観派勢力の優勢に傾きつつある。
消費回復の要因を消費者、企業の両面から解き明かしてみた。全体がおしなべて回復しているのではない。情報を先取りした特定層から消費回復が進んでいる。オールターゲットの施策、ターゲットを定めない施策は、ムダうちに終わる。

消費回復を先取りした特定ターゲットへのピンポイントマーケティングが市場拡大の鍵を握る。

1.JAPAN IS BACK-日本的経営が戻ってきた-

ジャパン・イズ・バック

ステルス戦闘機という敵の防衛レーダー網をかいくぐることができる爆撃機がある。「いつ日本が経済成長を果たすようになるのかを予測することを、他の多くの西洋諸国と同様に諦めていた」と感慨する「ビジネスウィーク誌」は、日本の景気回復を「ステルス経済回復」と揶揄している(2004年6月14日号)。

彼らによれば、日本の景気回復は進んでいるが、経済構造改革はまったく進んでいないと分析している。デジタル家電や中国への輸出が指摘されているが、本音では「よかった」と喜びながら、なぜ、構造改革が進んでいない日本が経済成長を達成しているのか、不思議でならないということだろう。「ステルス」という言葉にそんなニュアンスが込められているように感じる。

日本経済の再成長要因として、消費と企業の設備投資の回復が海外にも説明できねばならない。なぜ消費が回復しているのか。収入や資産要因ではないグローバルな外部性要因を整理してみた(「U. クール・ジャパンが消費回復を牽引する」参照)。

成長エンジンのもうひとつは企業の設備投資である。企業がなぜ収益回復を果たしているのか。企業戦略の転換という観点から問題の仮説的な答えを提出してみる。日本の基幹産業である製造業が経営スタイルの転換を行い「新しい日本的経営」に移行した、というのが帰結である。もちろん、金融業界、特に銀行業界は不良債権比率の低下が見られるものの未だにその収益源の多様化は進まず、公共事業に依存してきた建設業界とともに除外することを前提とした分析である。

戦略経営への転換?

戦略経営とは、不確実に大きく変化する環境の未来を予測し、新しい経営目標を提示して、その実現のために限られた経営資源を再配分、集中することである。

戦略経営の見本はゼネラル・エレクトリック(GE)である。20世紀の偉大な経営者と言われるJ.F.ウェルチの後継者となった弱冠47才のJ.R.イメルト会長兼CEOはGEの21世紀の戦略を語る。「将来のマネジメントの実践は成長に焦点を合わせることである。低成長の世界でいかに成長を実現するかにすべてを集中させることである」と新たな成長目標を設定した上で、「GEは企業価値を高める四つの戦略をとる。四つの戦略の第一は、強いビジネスモデルのもとで事業を遂行することである。第二に、実際に経営の基礎となる中核的な成長の先がけを開発することである。第三に、将来のもっともベストな産業に所属しているということを実際に確信できるように一連の事業を不断に改良することである。最後に、従業員、リーダーシップや中核価値に相応しい大きな競争力を開発することである」(第5回日経フォーラム「世界経営者会議2003」の講演より 2003年10月20日 東京 主催:日本経済新聞社 他)。

見事に首尾一貫した論理であり、不確実な未来を予測し、限られた経営資源を集中して振り向けるという道筋を提示し、戦略をリードする経営者の役割が明示されている。究極において投資の論理が一貫している。アメリカ国内での「ものづくり」にこだわる様子など微塵もない。

1990年代、多くの日本企業は、結局、イメルトのように不確実性を見定め、新たな経営目標を提示し、それを実現する戦略の論理とリーダーシップを持ちえなかった。戦略経営の第一人者であるM.E.ポーター(ハーバード・ビジネススクール教授)に「日本企業はほとんど戦略を持っていない」と評された。

「よい物を安くの戦略」、「系列組織化」、「分散シェアリング」、「従業員主権」などの特色で呼ばれ、1980年代に賞賛された日本的経営は「戦略なき経営」であったことが露呈した。1990年代、多くの企業によって日本的経営は放棄され、戦略経営への転換が目指され、事業の選択と集中、製造工場の中国などの低賃金国への移転、大手組織小売業への重点移行、終身雇用制の放棄によるリストラの断行、実力主義賃金体系の導入、株主の重視などが進められた。

現在の収益回復の背景にあるのは、日本企業の戦略経営による結果だろうか?仮に、ポーターが分析すれば、きっとこう言うだろう。「日本企業はほとんど戦略を持っていない」と。

ものづくりへのこだわり

戦略経営への転換によって企業収益が回復したとは思えない。当社の時系列分析でも確認できる(JMR生活総合研究所ホームページ「戦略を読む」参照)。そうだとすれば何が成功したのだろうか。投資の論理ではない飽くなき「ものづくりへのこだわり」だと言える。

日本の製造業は、付加価値比率で約21%、雇用比率でも約20%を占める産業である。研究開発では約90%を製造業が占める。景気回復で、企業収益が伸び、設備投資の牽引役を果たしているのも製造業である。デジタル家電、自動車、中国向けの輸出メーカーが主導的な役割を果たしている。特に、トヨタ自動車(以下、トヨタ)を筆頭とする自動車産業と並び情報家電、あるいは薄型テレビ等のデジタル家電の領域で、シャープ、松下電器産業(以下、松下電器)等の企業が収益を大幅に回復し、設備投資を活発化させている。設備投資の約80%は国内向けという数字もある。

こうした回復の背景は、戦略経営というよりも寧ろ「新しい日本的経営」へと舵を切ったことにある。舵の方向と基軸は「ものづくりにこだわる」経営の明確化である。

松下電器の中村邦夫社長は、「松下電器はものづくりの強いDNAを持っている。ものづくりが社会に貢献し続けることができるもっともよい道である」と述べ、トヨタの張富士夫社長も「ひとづくりは、よりよいものづくりをし続け、イノベーションに向けた終わりのない挑戦を保証するトヨタにおける大切な変わらぬ価値である」と強調する(ともに「世界経営者会議2003」の講演にて)。

ものづくりにこだわり、自社の人的資源を集中していくスタイルは、何よりも人を大切にする経営という意味において、「人本主義」と呼ばれた日本的経営と同じ信念である。仮に、日本的経営を、「分散シェアリング」、「従業員主権」、「系列組織化」の三つの特徴で定義するならば、その要素は大きく変わった。ボトムアップとトップダウンをうまく取り入れた分散的な意思決定はトップダウンが優先され、終身雇用の保証はなく、コスト削減のために取引先は集約された。ここには、もはや日本的経営の特徴は見られない。しかし、会社を売り買いできる「モノ」としてではなく、「ヒト」としてみる見方は生きている。「飽くなきイノベーション、ものづくり集中、人づくり」が新しい日本的経営の特徴として見出せる。差別化の源泉は「モノ」にではなく「ヒト」にあるとする信念である。

信念だ、というのは、ものづくりへのこだわりは、社会のソフト化、情報化、サービス化の流れに棹をさすようなものだからだ。エジソンが創業した家電メーカーのご先祖とも言えるGEのイメルトから見れば「異常なオタク的なこだわり」としか見えないはずだ。それが合理的な投資、つまりは戦略経営の論理である。しかし、多くの日本人には共感を持って迎えられている。哲学や思想で世界に通用する成果を生まなかった日本文化には、茶道や華道に見られる「所作」や「かたち」に異常にこだわる伝統がある。とりあえずは、ものづくりへのこだわりの背景には、伝統的な日本文化の影があることを指摘するに留めることにする。

しかしながら、このこだわりによって、古い日本的経営からものづくりを基軸とする新しい日本的経営への転換が進み、日本の製造業の復活をもたらしていることは確かだ。


リソース・ベースド・ビュー(RBV)の戦略

新しい経営スタイルは、ポーターの戦略観からは、戦略とはみなされず、単なる業務改善の連続に映るに過ぎない。新しい日本的経営を原理や哲学としてではなく、合理的な論理として解釈してみると、特定の製品サービスのイノベーションで優位にある得意分野に集中し、人的資本を集中させ、真似のできない人に蓄積された技能とチームワークによって競争優位を築いていく戦略である。他社には真似のできない製品サービスが生産できるのは、生産財市場で購入できる要素資源ではなく、それらを製品サービスに仕上げていく人とそのチームワークである。この人とチームワークこそが他社には真似のできない源泉である。

仮に、強いサッカーチームを作るとすれば、メンバーをすべて各ポジションのトップから選抜すればよい訳ではない。サッカーゲームでさえ自明のことである。それはチームワークという各プレイヤー間の連携や摺り合わせが、実際の攻撃力や防御力を形成しているからである。プレイヤーは資金を出せば獲得できる。強いチームの真似ができる。しかし、チームワークは模倣できない。プレイヤー間の共通経験をベースに形成されるからである。

この論理はまさに、ポーターの競争戦略観と対峙するリソース・ベースド・ビュー(RBV)の戦略である。G.ハメル等の「コアコンピタンス」で知られるものである。強い製品分野を明確にし、その強さを形成している経営資源を強化したり、拡張したりすることを戦略の基本に据える考え方である。基本的なアイデアはB.ウェルネーフェルトによってもたらされ、1990年代にポーターの競争戦略に対抗するように研究され発展してきた。外的な競争に勝つには内部の競争力や競争能力を重視すべきだという発想である。

新しい日本的経営をこのように再解釈してみると、ポーター的な競争戦略から見えないがそこには明確な戦略を見出すことができる。

1990年代の家電メーカーの負け型(パターン)

実際に、デジタル家電の領域で検証してみる。1990年代、日本の家電メーカーは、サムスン電子などの韓国企業に、DRAM等の半導体や携帯電話等で市場を奪われた。その負け型は明確である。半導体は研究開発もコストもすべて投資金額に依存する量的優位産業である。日本のメーカーが1980年代にアメリカのメーカーに競り勝てたのは、半導体が利用されるパソコン以外の最終製品を作っていたからである。シリコンサイクル等によって需要が変動する市場で、巨大な設備投資を行うことは不確実性が高く困難である。従って、自社需要の下支えのある日本メーカーは有利に投資を進め、コスト競争で競り勝つことができた。

逆に、1990代には、反対のメカニズムが作用する。半導体を利用する最終製品が成熟し、新たな最終製品が開発できず、DRAMからあらゆる半導体を製造していた日本のメーカーは、需要縮小に対応せざるを得なくなった。サムスン電子などの韓国系メーカーは、政府のビッグディールによって国内市場を寡占化させ、DRAMを重点分野に絞り集中的な巨大投資を行った。国内で多数のメーカーを擁し、それぞれが総合化を進め、経営資源が分散し、集中への軋轢や抵抗が大きかった日本メーカーとは対照的であった。さらに、低コストを武器に日本メーカーと競合する最終製品で市場シェアを拡大した。しかも、最新技術は、土日の韓国便が満席になったと言われるほど日本の技術者によって流出した。日本のメーカーは技術優位を失いながら同質的な製品によるコスト競争の世界へと巻き込まれる結果になった。この動きは、さらに、台湾、中国へと移っていった。参入企業は次々と撤退し、「日の丸」DRAMメーカーは1999年にNECと日立製作所(以下、日立)の共同出資により設立された「エルピーダメモリ」一社となった。

デジタル家電の勝ち型(パターン)

液晶テレビ、プラズマテレビ、DVDレコーダー、カメラ付携帯電話、デジタルカメラなどのデジタル家電の領域で日本メーカーが復活しているのは、このメカニズムとは異なる競争を行っているからである。

第一は、大型の新製品開発の成功である。製品イノベーションによって膨大な需要を見込むことができる新製品が生まれた。1990年代、通信ネットワークのブロードバンド化とデジタル技術によって、すべての家電がネットワーク化されることが予想された。しかし、最終製品の姿はなかなか見えて来なかった。まだ、極めて少数であるが、膨大なテレビ需要の代替製品としての薄型大型テレビ、ビデオの代替製品としてのDVDレコーダーなどの新製品が導入された。パソコン依存製品から脱却できる展望が見えてきた。このことは、マイクロソフトとインテルによってもたらされた部品の標準化や「モジュール型産業構造」から抜け出られることを意味する。パソコン搭載の液晶ディスプレイがマイクロソフト主導で規格化され、シャープが韓国メーカーとのコスト競争によってシェアを奪われ、魅力のない事業になった。しかし、その分、大型液晶テレビへ集中できたという効用もあった。パソコンを基軸とした産業のように開発や改良余地の自由度のないモジュール型産業に日本企業の強みが生かされないことは明らかだ。そもそもモジュール型産業のモデルとなったのはものづくりを放棄した「サン・マイクロシステムズ」である。デジタル家電の最終製品はそのほとんどが日本で開発された新製品である。ここでは同質化競争にはならない。
第二は、垂直競争への転換である。同じ製品なら安い方を買うのが当たり前である。日本企業はより付加価値の高い垂直的な品質競争を行っている。コマツなどの重機が、建設ブームの中国で売れている。その理由は、アメリカや韓国メーカー製よりも品質が高く、少々、価格が高くても施工ユーザーにとって故障が少なく納期を守れるメリットがあるからである。中国へ低い付加価値の製造移転を行う一方で付加価値の高い製品の設備投資を行い、同一企業内での垂直分業を行っている。こうした同一企業内の垂直分業はあらゆるメーカーで行われ、ローエンドからハイエンドまでの垂直競争への転換が行われている。約1万円から8万円前後の炊飯器の品揃えをしている企業もある。

第三は、ユニークな得意技術が生かされていることである。日本の家電メーカーの得意技術のひとつは「実装技術」であると言われる。たくさんの部品を特定の形に集約する技術である。半導体ではシステムLSIと呼ばれるような領域である。この実装技術によって「軽薄短小」と総称される優れたデザイン性を実現できる。自然の風景をひとつの鉢に盛り込む「盆栽技術」のようなものだ。携帯電話での市場シェアトップのノキアがヨーロッパで急速にシェアを失っているのは、折畳み式(クラムシェル)の導入が遅れ、古臭いデザインとユーザーに認知され始めたからであると言われている。こうした実装技術は経験によって蓄積されるものであり、人による摺り合わせやチームワークが基本となる。従って、簡単には模倣できない。しかし、製造拠点を海外に移してしまえばこの蓄積もなくなってしまう。トヨタ、松下電器などの得意技術はこうした強みにある。国内設備投資が増えるひとつの理由でもある。

第四は、知的財産の保護に力を入れ始めたことである。特許取得、工場のセキュリティ強化、人材流出の防衛、などによって知的財産の保護を本格化させている。基幹技術の「ブラックボックス化」によって少しでも技術優位を延命させようとすることによって競争優位を維持する努力が試みられている。
これら四つの要因によって、デジタル家電の分野における日本メーカーの優位性は維持されている。それは同質的な製品を作らず、品質による垂直競争によって低価格競争を取り込み且つ防ぎ、自社の強みを生かして、競争優位性を持続していく戦略である。国内一社となったDRAMメーカーのエルピーダメモリが2007年までの3年間で約5,000億の投資を行い世界最大規模の工場を建設することが報じられた(エルピーダメモリ 2004年6月10日ニュースリリースより)。

デジタル家電用の半導体需要を見込んだものである。日本の半導体産業の復活は、韓国の半導体メーカーにも新たな価格競争の引き金になりはしないかと衝撃を与えている。主力製品は携帯電話用のメモリーやシステムLSI等の日本の得意製造技術を生かした領域になることは言うまでもない。これは産業のモジュール化に苦しんできたメーカーの復活を意味するだけでなく、1990年代の苦い教訓が生かされた新しい日本的経営の復権を象徴しているように思われる。

1990代の負け型は明らかに克服されている。新しい勝ち型は、飽くなきイノベーションによって新製品を創造し、垂直競争に持ち込み、ものづくり集中し、人づくりによって差別的な価値を創造することである。一社の競争優位が積み重なり、次々とデジタル家電産業全般に波及していくメカニズムが生まれている。

ダイナミックな競争優位の源泉

日本経済の成長を支えているのは、製造業を中心とした新しい日本的経営への転換である。日本の景気回復のエンジンのひとつである企業の設備投資の増加は戦略転換によって支えられている。

それは同時に、経営者や企画スタッフにとっては、新たな戦略観の転換でもある。1990年代、企業の戦略を巡り様々なコンセプトが覇を競った。伝統的なポータースクール(学派)は、思い切った競争戦略の構想によって一挙に業績転換する戦略主導の革新を説き、新興のモジュールスクールは、新しい産業アーキテクチャーを構築しモジュールによって競争すべきと提言した。主に、アメリカに根をはり、経済学者も取り込むリソース・ベーズド・ビュー(RBV)スクールは、強みは企業内部の資源にあり、競争に勝つには自社の競争能力を拡大して行くことが重要であるとした。

日本の製造業の復権はどのスクールの処方箋が有効だったのかを明確にした。モジュールスクールの処方箋が病状を悪化させ、RBVと伝統的な日本的経営擁護論の診断と治療が有効であったことを示している。ポータースクールは、日本人の体型に合うベッドではなかったということだろう。

しかし、ポーターの戦略観がもはや通用しない訳ではなく、RBVの戦略が優れている訳でもない。戦略を、外的状況と内的資源の摺りあわせと考えるならば、外的状況を重視する戦略観と内的資源を重視する戦略観の違いである。この違いは根本的な市場と企業の見方にルーツを持つものである。

問題は、日本企業が新しい日本的経営と内的資源重視の戦略によって、持続的に競争優位を築き、21世紀に生き残ることができるか、ということだ。確かに、新しい勝ち型は、少なくとも2〜3年間は維持できる有効な競争優位になっている。VRIO分析をすれば明らかだ。この観点から少なくとも製造業に関する限り、設備投資増大の確かな基礎を持っていると言うことができる。

しかし、果たして10年後はどうであろうか。外部環境を重視するポーター的な戦略の視点は必要ないのだろうか。GE、ヒューレット・パッカード(HP)などのアメリカ企業に限らず、ソニー、日産自動車やサムスン電子は明らかに戦略経営を志向している。他方で、トヨタ、キヤノン、松下電器、シャープ、NECなどは新しい日本的経営を目指している。戦略経営を目指す企業のものづくりが中途半端でクールさを失っているのとは対照的に時代の風向きは後者にあるように思われる。

何よりも消費者である国民世論に支持されている。しかし、ものづくりへの集中によって、ソフトや情報などの部門は切り捨てられ、軽視されている。単品的なものづくりだけで果たしてユーザーニーズを満たし生き残れるのだろうか。アップルは、携帯音楽プレイヤー「iPod(アイ・ポッド)」の売上がパソコンを抜き、もはやパソコンメーカーから音楽配信ネットワークを含むAVメーカーに転身しようとしている。品切れ状態の「iPodミニ」の基幹部品である超小型ハードディスクを提供しているのは日立であると言われている。

焦点は、どちらが市場環境変化に対応したダイナミックな競争優位を築けるかにある。最終的な競争力の源泉は、外にあるのか、内にあるのか?

ポーターは、「企業の成功は内的資源ではなく外的資源にある」と主張する。例えば、実装技術によってデザイン性に優れた製品を生み出せたとする。その競争力のある製品が作れた源泉は、限られた材料の独占的な入手やチームワークによる高度な摺り合わせ技術であるとする。この場合、競争力は社内にあるふたつの資源が源泉と見なされる。競争力は内にある。ここで、差異的な価値を生む源泉はヒトにあると日本の経営者は指摘するだろう。しかし、ふたつの資源がなぜ社内にあるのかの源泉を追求すれば、その製品を作り出す工場や研究所などの特定の立地、協力工場群、インフラ、教育水準や優れた高品質の新製品を受け入れてくれるユーザー抜きには考えられない。何を「クール」と感じるかを実感できるユーザーがいなければ、たとえ実装技術によって軽薄短小化してもデザインの方向性が見えてこない。源泉の源泉を辿れば競争力は戦略の歴史経路に依存した外にある、と分析できる。

おそらく、アクチュアルな競争力は、ユーザーを基軸とする外部市場と内部資源を製品サービスによって結び付けるマーケティングにある。10年以上の競争力を持続する鍵は、企業の内部と外部を歴史的文化的条件の上でどのように結び付けることができるかだろう。しかし、この議論は別稿に譲り、今後の戦略動向を注意深く分析したい。

※本提言論文は、「営業力開発」誌 2004・No184号(編集発行:日本マーケティング研究所 執筆担当:JMR生活総合研究所)に掲載されております。掲載文は以下のU〜Yに続いております。

U.クール・ジャパンが消費回復を牽引する
−消費回復の謎(クールターゲット一覧)
V.2004年上半期のヒット商品 −"SLIDER"
W.「M」型市場への「W型アプローチ」 −消費社会白書2004より
X.ガングロU 2004 −かわいいマンバ
Y.Eye of the buyer
−消費者の眼:消費者の頭の中で本当に起こっていることは何か?
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