アベノミクス以降の日本を、どう見るか。「格差消費の時代」というとらえ方が有効と考えられる。景気はアベノミクス後に浮上し、消費にも明るい兆しが見えてきた。その中で、注目されるのが消費格差の拡大だ。
今号では、格差消費の時代における新しいマーケティングの切り口をテーマに、その背景、各企業の事例を中心に論文を掲載している。
基調論文では、格差消費の社会と、中流社会などとの違い、これからの時代のマーケティングに有効な4つの切り口について説明している。
続く「消費格差が生み出す新しいトレンドとチャンス」の論文では、収入格差を上回る消費格差の現状、正規雇用層と非正規雇用層の格差や、消費格差が生む機会と脅威などについて、データから明らかにする。
企業の事例に沿って、これらの4つの切り口をそれぞれ紹介する「マーケティング革新の4つの事例」の論文では、セブン―イレブンやソニー、アップルなどが、どのような戦略で顧客を獲得しているかを解説している。以上3つの論文は、5月19日に実施した「ネクスト戦略ワークショップ」の講演録を加筆、再構成したものである。
最後の論文は、1月27日に日本マーケティング研究所が主催した「JMR 戦略ケース研究会」の講演録から再構成した。企業が危機を乗り越えるための「タテの戦略」について書いている。タテの戦略とは、歴史的経緯を踏まえて事業活動を革新する新しい方針を指す。
市場をどう捉えるか。つまり、市場環境を時間のヨコ(現在)とタテ(時代)から、どう認識するかということだ。富士フイルムとコダック、三越とエルメスの比較から、その重要性について考察する。
マーケティングの新しい切り口として、今の消費をどうとらえるかということを、今回ご提案させていただきます。
最初に提案するのは、「現代がどういう時代か」ということです。私達の提案は、「格差消費の時代」と捉えたらどうでしょうか、ということです。
マーケティングには、市場をどう捉えるかという面と市場にどう政策的にアプローチするかという2つの側面があります。前者は、市場環境を時間のヨコ(現在)とタテ(時代)から、どう認識するかと
いうことと同じです。後者は、製品、価格、流通、コミュニケーションなどの機能を通じて市場にどうアプローチするかです。
私見ですが、この2つの側面でより重要なのは前者だと思います。最近は、前者は、ビッグデータなどの情報探索と情報処理の問題になっています。近年はビッグデータなどが注目を集めております。私たちもこの分野に注目しています。しかし、その有用性はデータの量とそれを処理するシステムに依存しています。従って、おそらく世界で数社しか投資に見合う画期的な成果を生むことはできないのではないかと思います。
他方で、市場の捉え方は、ヨコ的な断面分析も大事ですが、本質は、我々が暮らしている時代をどう捉えるかであり、社内外にコンセプトを提示することがもっとも大事で有効なものだと思います。時代の捉え方をコンセプト(概念や理念)として、ひと言(統括)で言い表すことです。マーケティングの創造的な側面です。
P.ドラッカーやP.コトラーのライバルで早世したK.レヴィットは時代の捉え方が見事でした。戦後の日本では司馬遼太郎さんが名人でした。
時代というのは、過去から現在までのおよそ10年の期間の特徴のことです。この時代をどういうくくりでとらえるかということが重要です。「戦後復興」、「高度成長」、「安定成長」、「バブル経済」、「バブル崩壊」などの経済成長で捉える時代区分もひとつの捉え方です。
経営やマーケティングにとって、このような時代の捉え方が大事なのは、ひと言で人々を納得させ、進むべき方向や行動の是非を暗示してしまうからです。バブルの時代、10万円のワインをつぎつぎと飲むことが欲望の対象となったのは「バブル」だからという言い訳がありました。そして、人々の行動を同調させて時代的な変化を生んでいきました。
アップル社は、パソコンがIT 時代の主導権を失うなかで、パソコンが「デジタルハブ」になるということをジョブズが予言(時代規定)して、iPodなどが生まれました。現在のアップル社はこの時代認識をすでに変えています。このように、現代がどういう時代かを規定することは、経営やマーケティングの舵取りには大変重要です。
ところがその捉え方に科学的な方法論があるか、というと難しい面があります。将来、ネット上のペタバイト級のビッグデータをもとに、最近、流行の「ディープラーニング」などのAI(人工知能)技術を活用して、現代を捉える言葉を仮説として創造的に類推(Abduction)できるかもしれません。しかし、「ドラッカーロボット」や「ジョブズロボット」ができるのは相当先のことでしょう。
さて、話が横道にそれましたが、私たちにとっては、アベノミクス以降のこれから10年を見据えて、この期間をどうとらえるかということが大切になってきます。われわれが、2020年くらいまでの時代の切り口として提示したいのは「格差消費の時代」という捉え方です。
アベノミクス前に8千円台だった株価は、今日(2015年5月19日現在)2万円を超えています。2倍以上の伸びです。従って、およそ200兆円という含み益が出たことになります。勤労者ひとり当たりに換算すると、およそ300万円の資産が増えたことになるのではないでしょうか。しかし、株の所有者は少数ですから、株を持っている層と持っていない層の資産格差は拡大しています。
明治、大正は階層社会の時代でした。現在では、信じがたいことですが、侯爵や伯爵などの貴族がいた時代でした。それが昭和になり、戦後になると、だれもが中流で、人並みの生活を目指す時代となりました。夫婦2 人と子供の世帯、サラリーマンと主婦の性別分業、郊外に持ち家を所有し、家庭は便利な家電製品が満載で、自家用車があり、子供を私学に入れることが中流のライフスタイルとして定着しました。
この中流社会が成熟社会と言われだしたのは80年代です。やがて、オイルショックを経て、90年代初頭にバブル経済期を迎えます。国際協調による金融緩和と地価は下がらないという「土地神話」が結びついた帰結でした。しかし、金融と土地規制でバブル経済は崩壊し、「失われた20年」といわれる長い経済低迷の時代に突入します。
過去を振り返り、現在の資産格差の状況をみると、日本は国際的に貧しくなったのではないか、消費の側面からみると、格差が広がっているのではないか、という印象を持ちます。
■図表1 注目現象 ― 所得格差よりも消費格差
特に注目すべき現象は、所得格差よりも消費格差の方が大きいということです。これを四分位数を使って格差を分析すると、世帯年収金額の幅よりも、格差の幅が大きい項目が多いことが見て取れると思います。具体的にいうと、宝飾品や貴金属購入費用、チャリティ年間支出金額合計、服購入費用などでは、所得格差よりも格差の幅が大きいことが分かりました。(図表1)さらに詳しく見ると、男性よりも女性の消費格差が大きいということがデータから明らかになりました。
こういった状況では、これまで大多数だった中流をターゲットとして行うマーケティングは通用しなくなってきています。なぜ所得格差以上に消費格差が大きくなっているかというと、ひとつは階層意識が強くなっているということが挙げられると思います。人間というのは、心理学的に地位を求める生き物だそうです。階層意識に加えて、自分が所属するグループでの同調圧力も強まっています。この同調圧力の一方で、自分が所属する以外のグループとは差異化したいと望んでいます。
アメリカで髭を長く伸ばした「ヒップスター(Hipster)」という集団がいます。インテリ志向で、個性を主張し、他者とは違うものになりたいと考えていているのが特徴です。彼らは、他者と差異化したいといいつつ、最終的に同じスタイルになっていきます。この現象を「ヒップスター効果」といいます。
なぜ、個性的であろうとして同じスタイルになってしまうのか?
他にも、個性的であろうとして、別の同じスタイルの集団を形成しています。ミクロで見れば、個々の人々は個性的であろうとするのですが、マクロでみると同じスタイルになってしまう。このパラドックスは、数学で説けるという「ジョナサン・トゥボール」という研究者の論文がアメリカで発表され、話題になりました。(図表2)
■図表2 消費格差を生む理由 ― 階層意識と同調圧力
少し、拡大解釈すると、このような集団化現象は、個々人が差異化を追求し、他者とは違うスタイルを選択しようとする消費者の比率と周辺の人々が自分同じスタイルをどの程度しているかの予測精度の2つの条件で生まれるということです。ミクロでは個々人は個性を追求するのですが、同一スタイルをとる集団現象を生んでしまうということです。物理現象で知られる「熱力学」、「スピングラス現象」や統計力学の応用として、「位相転移」として理解できるということです。
水は分子レベルでは同じですが、常温では水、零度以下では氷、沸騰すると蒸気になります。温度によって、分子の結びつきが変化し、マクロでの位相が違ってきます。
豊かな社会で個々人が差異化を追求すれば、一定の条件下で、集団現象が顕れるということです。つまり、豊かな社会の階層化は、消費の階層化を生むということです。
現在は、中流社会から格差社会への転換期です。これまでの総中流社会では、みんながトレンドを追っかけてみんなに普及すれば、また、新しいトレンドが生まれました。「三種の神器」、「3C」や「持ち家、自家用車、子供の私学」などのすべてが普及率100%に向かっていきました。
しかし、格差社会では違います。豊かな社会の個々人は、自己実現として個性を追求しますが、特に、自分の所属しない他の階層とは違うスタイルをとろうとします。すると、ヒップスター効果が働き、階層ごとに同じスタイルが形成されることになります。決してトレンドは100%に向かいません。階層内で普及は止まり、他階層が模倣すれば他のトレンドへと変わっていきます。(図表3)
■図表3 階層社会のヒップスター効果
このような社会構造では、階層別の対応をしていく必要があります。社会の階層化は、社会不満を生み、「社会の温度」が上がります。その結果、階層ごとに消費が変わっていくということになりそうです。
こういった社会状況の中ではどのようなマーケティングアプローチが効果的なのでしょうか。今回は新しい切り口として4つご提案したいと思います。
まずひとつ目は、「顧客層の再選択(リセット)」です。これをうまく行っているのがセブン?イレブンで、さまざまな成功要因が語られています。セブン?イレブンでは、93年までは顧客の60%以上を30 歳未満が占めていました。20 代のサラリーマンが会社帰りに缶ビールとつまみなどを買って帰るというイメージです。
しかし、10年ちょっとで客層がらりと変わりました。コンビニ業界は、少子高齢化の影響で、最初に打撃を受けましたが、セブン?イレブンは、ターゲットと品ぞろえを変えることで、この危機を克服しました。現在の顧客は40歳以上が50%以上を占めており、品ぞろえも惣菜が豊富になりました。(図表4)これが、顧客のリセットです。知らず知らずのうちに顧客が変わっていく。そういったデモグラフィックの変化に気付く必要があるのではないかというのが、階層消費の時代のひとつめの切り口です。
■図表4 顧客層の再選択 ― セブン?イレブン
ふたつ目は、「成熟市場のラグジュアリー化」です。これまでは、成熟市場はやがて衰退し、そこからいかに撤退するかというのがひとつのマーケティング手法でした。しかし、現在では成熟市場でこそ製品のラグジュアリー化が起こり、活況をみせています。例を挙げると、電子レンジや炊飯器は成熟市場ですが、最近では10万円以上の高級品も人気を集めています。ダイソン(イギリス)の掃除機や、ゼンハイザー(ドイツ)のヘッドホン、パナソニックの4K 動画が撮れるデジタルカメラ、アップルの「Apple Watch」、ソニーのハイレゾ対応ウォークマンなど高価格帯の商品がどんどん発売され、注目されています。このように、階層消費の時代になると、成熟市場でも新たなラグジュアリー市場をどんどん積み上げていくことができます。
三つ目は、「ウェブルーミング(Webrooming)」という視点です。ウェブルーミングというのは、ネットで検索して、購入は実際の店舗で行うということを指します。商品購入のネット化が進み、リアルな店舗はショールームとなっていくといわれていました。実際、ブルーレイレコーダーやパソコンなどネット購入が進んでいる商品もあります。しかし、食品などは実際の店舗での購入が多いです。(図表5)
■図表5 購買行動のネットとリアルの統合 ― 機会費用差
一般的にネットで購入する場合、実際の店舗で購入するよりも情報の処理時間が長くなり、70分ほどかかるといわれています。高収入の人は、機会費用(別の目的に使えば得られはずの利益)が高いため、時間を効率的に使って、リアルな店舗で買い物をすることになってきます。これまでは、オムにチャネル化や、商品の購入でネット化がどんどん進むと考えられていました。しかし、主流はウェブルーミングになっていくのではないでしょうか。もちろんネットは無視できませんが、実際の店舗とうまく統合した戦略を考えていく必要があるでしょう。
最後の切り口は、「IoT(Internet of Things:あらゆるものをインターネットに接続し、様々なサービスを実現する)による製品の役割変更」です。最近注目されているドイツの「インダストリー4.0」は、官民一体となった取り組みで、企業の枠を超えて作業者やロボットがネットワークでつながり、顧客まで結びつけて生産改革を目指します。一方日本では、必要なものを必要なときに必要なだけ持ってくるというトヨタ自動車の在庫ゼロシステムであるe-かんばん方式などが挙げられます。このような動きの舞台裏で大きな役割を果たしているのがIoTです。これによって、マーケティングの観点からも商品やサービスの役割が変わっていくでしょう。
たとえば、大根やニンジンなどもシステム商品になってきます。食生活を考えたとき、メニューを選択してレシピを入手、食材選択、加工調理を経て、盛り付けをしてセッティングし、食事をするというプロセスをたどります。家庭で調理し、食事をとるということを「内食」といいますが、これは年々減少傾向にあります。(図表6)旬の食材や健康面を考えて、今日は何にしようかとメニューを考える。主婦の方々していることです。
■図表6 IoT で進む商品のシステム化と情報財化
一方で、外食というのはこれらのプロセスをすべてシステム統合したものです。このほかに中食というのが、コンビニなどでカロリーやバランスを気にしながら、お茶やおにぎり、サラダなど調理済みの商品を買って、職場や家庭で食べることです。しかし、IoTが進んでいくと、大根が情報商品になります。そして、その情報をサポートする追加の情報が入手できるようになります。そのための戦略としては、プラットフォームというビジネス手法が有効です。
■図表7 格差消費時代のマーケティングの新しい切り口
これから2020年くらいまでの時代のとらえ方として、格差消費の時代を提案しました。(図表7)政治的に考えれば、格差社会というのは社会不満が増大し、よくないことです。しかし、実際の社会では格差が存在し、不満が次の社会へのエネルギーとなります。この意味で、教育やビジネスにおける機会平等がある程度保障されている社会では、結果の格差が生じるという現象は次の消費や経済の新しい段階に進んでいくうえで、必要な条件ではないかと思います。
4つの切り口を、皆様それぞれのマーケティング革新のヒントにしていただければと思っております。
(代表 松田 久一)
※本提言「格差消費時代の新しいマーケティングの切り口」は、「営業力開発」誌 2015年・No223号(編集発行:日本マーケティング研究所 執筆担当:JMR生活総合研究所)へ掲載されています。尚、誌面では以下の様な構成にて続きます。
格差消費時代の新しいマーケティングの切り口
Ⅰ. 新しいマーケティングの切り口
Ⅱ. 消費格差が生み出す新しいトレンドとチャンス
Ⅲ. マーケティング革新の4つの事例
Ⅳ. 顧客を見据えたタテの戦略
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