日本マーケティング研究所グループの母体となった日本マーケティング研究所が、大阪に設立されたのは1958年(昭和33年)です。2008年、幣グループはクライアントの皆様のお陰を持ちまして創業50周年を迎えることができました。心より感謝を申し上げます。
50年という節目には、マーケティングと当社に因縁があります。マーケティングの歴史研究で知られるR.バーテルズは、マーケティング概念の設立時期を1900年初頭とみています。産業発祥の地と言われるアメリカ中西部のミシガン湖周辺で商人が自分たちの活動を「マーケティング」と呼んで日常用いていたこと、オハイオ州立大学のコースの名称として1905年に記録として初めて名詞の「マーケティング」が使われたことを論拠にしています。いずれにしても、世界で初めてアメリカに「マーケティング」という概念が誕生しました。従って、日本でもヨーロッパでもそれに該当する言葉がなく、どの国でもマーケティングという英語が定着しているようです。20世紀初頭、アメリカが、イギリス、フランスなどの欧米諸国に遅れていたことは明らかです。なぜ、当時の後進国でマーケティングは生まれたのでしょうか。マーケティングの歴史研究家によれば、大量生産技術が生まれ、広大な地域をカバーする鉄道が整備され統一市場が形成されたにも関わらず、東部の一部に限定されていた既存の卸流通ではとてもカバーできなかったことに主因があるようです。従って、消費者への直接的なアプローチを必要としたことに加え、プロテスタントの革新的なビジネス精神も関わっているようです。
マーケティング概念の草創期から約50年が経過すると、第二次世界大戦後、大量生産、大量販売に加え、テレビを中心としたマスメディアが発達し、アメリカのマーケティングは現代の体系と変わらぬ「マス・マーケティング」へと進化しました。この頃に、日本にマーケティングという概念が導入されました。戦後の復興が目覚しく進展し、「もはや戦後ではない(第1回経済白書)」と言われた1956年頃から日本の当時の経営陣もアメリカを視察しマーケティングの重要性を学んできました。マーケティングの発展はどの国でもマーケティングリサーチの設立から始まります。この頃には、多くの民間のマーケティングリサーチ機関が設立されます。日本マーケティング研究所もそのひとつでした。ここから日本のマーケティングの定着とローカル化が進みます。
啓蒙期(1955?64年)には、多くの企業がマーケティングの導入に意欲的で講座やセミナーが活発になされ、市場調査や製品開発、流通系列化への関心が高まり、高度成長期には発展期(1965?73年)を迎えます。マーケットセグメンテーション、ブランドプロモーション、販売促進、差別的商品開発、流通革命への対応、統合的マーケティングへの関心が高まり、日本でもマス・マーケティングの基本が確立されました。70年代には、ライフスタイル研究やエリアマーケティング、新チャネル設計、80年代には商品多様化、業態開発、CIなどへの関心が高まり、90年代にはCS、品種数削減とブランドロングセラー、広域営業体制、2000年以降は、インターネットの普及に伴うインターネットマーケティング、カテゴリーマネジメント、寡占化への対応などが焦点となっています。
この50年は、日本におけるマーケティングの発展であり、当社の歴史はそれに重なります。
この間、日本マーケティング研究所もクライアントの皆様にたくさんのコンセプトをご提案してきました。
AMTULという段階的購買行動モデルをベースとしたBRA(ブランド力測定技法)の開発(1965)、セールス・キャンペーン概念とキャンペーン設計のベースとなるペンタゴンモデルの提唱(1965)、弱者が強者に勝つための営業現場での戦略を提案する弱者のマーケティングの提案(1978)、成熟社会に対応する新たなマーケティングを提案する第三次創業概念の提唱(1980)、普及率需要から需要の質的変化を理解するための選択率需要概念の提唱(1981)、4Pに営業機能、ロジスティクス、事業開発機能などを統合した営業力開発概念の提唱と営業力開発誌の発刊(1982)、首都圏市場を攻略するための多次元接点戦略の提案(1986)、生活研究システムの提唱(1991)、クチコミの影響を購買行動モデルに組み込み政策オプションを提案するブランドロングセラーモデルの開発(1993)、情報ネット経済下のマーケティング戦略の提案(1999)、経済学とマーケティングを統合する理論化を志向した戦略的マーケティングの経済学概念の提唱(2003)、流通、メーカーの寡占化が進むなかで高収益を実現するための市場パワー戦略の提案(2007)などです。
この歴史を俯瞰すると言えることがあります。
一つめは、横文字である「マーケティング」を悪戦苦闘しながら「現場」に持ち込もうとしている努力が伺えます。特に、日本の売りの現場から生まれた「営業」という概念に拘り続けていることがわかります。日本企業には「マーケティング部」という部署名は少ないですが、「営業部」ならどこにでもあります。このふたつの部署が企業活動のなかで同じ機能を果たしているかと言えば半分重なり半分異なります。ここが横文字マーケティングの直輸入では済まず、我々が埋めるのに努力し苦労してきたことです。我々が実践してきたことは「日本」におけるマーケティングの定着でした。
二つめは、時代を先取りして様々なコンセプトやスキルの提案をしてきた、ということです。当社の業務は、受注ビジネス、カスタムビジネスの性格を強く持っています。従って、多くの課題にオーダーメイドで対応するのが基本ですが、クライアントの皆様の問題意識に少しでも接近できるように新しいコンセプトを提案するよう努力してきたと言えます。
三つめは、この整理の行間に滲んでいることです。鬼籍に入られた先輩に教えられ、そして、現在の社員が引き継ぎ、次世代に引き継ごうとしている棒のように貫くことは、消費者と生活者の目線からクライアントの皆様の問題解決に少しでも貢献できるよう誠心誠意努力する姿勢です。そして、この理念こそが50年かけて我々の会社が学んだ、たったひとつのマーケティングの本質です。普遍化すれば、お客さまによって企業は存立し得るということです。
マーケティングが誕生して100年、日本にマーケティングが導入され、当社が創業して50年、次の50年にも我々が学んだマーケティングの本質を引き継いでいきたいと思います。