日本映画が好調だ。2008年には、日本映画が外国映画を興行収入で上回るという実に21年ぶりの逆転劇が起こっている。
1985年に外国映画に逆転されて以来、日本映画は急坂を転げ落ちるように斜陽になり、外国映画全盛の時代が続いていた。
日本映画製作者連盟のデータによると、2002年の日本映画と外国映画の興行収入シェアは27対73であったのが、2010年は
その比率が54対46と、日本映画と比べると外国映画の落ち込みが激しい。
外国映画優位が崩れることは予想だにしなかった時代からみると日本映画の逆転はどのようにして起きたのだろうか。
■誌面が汚れるといわれた日本映画
日本映画の観客数のピークは1958年で、10億人を超え、日本人1人当り年間12.2回映画を見ていたことになる。
しかし、それ以降は減少し続けて、96年には1億1千万人と、実に10分の1に市場が縮小している。この頃に映
画の宣伝マンが女性誌に日本映画の作品紹介を売り込みに行くと、誌面が汚れるとまで言われてしまうほどの
どん底であったという。
■日本映画を変えた出来事
この縮小する日本の映画市場の中で、洋画が圧倒的なシェアを占める構造となっていた。そのシェアを逆転す
る契機となるのが98年に公開された1本の映画が「踊る大走査線」である。
いままで映画人中心の製作からテレビ人中心の製作へ転換する契機となったエポックメイキングな作品である。
つまり極論すると製品(作品)中心から消費者中心の映画づくりへの転換と言い換えることができる。テレビ局
は視聴率競争で培われた視聴者ニーズを敏感に感じ取る体質があった。それ以降、テレビ局が主体となって映画
を製作するようになり、逆転劇へとつながることになる。
■ハリウッド映画を変えた出来事
日本映画が元気になったもう一つの背中合わせの出来事がある。それが89年11月9日に起こったベルリンの壁の崩壊で、
この出来事を起点に国際的な映画市場が大きく変わることになる。
この出来事以降、アメリカ映画は旧社会主義圏を中心とした輸出を優先することになる。それはどんな国の観客が見て
も分かりやすい映画が中心となり、必然的に成熟した日本市場では受け入れられなくなってくる。
■映画市場を変えた価値観の変化
日本映画が元気になったのは、以上の大きな二つの出来事がシンクロしていることにある。
しかし、それらのもっと底流にある要因に日本の若い人を中心とした価値観の変化があることは明白であろう。それは
草食系男子などの言葉に代表されるように、男と女の社会的役割意識の変化によって「自己同一化」モデルがハリウッド
映画のヒーローに合わなくなっていることが根底にあるのではないか。日本の映画市場の特殊性がこれを裏付けていると
考えられる。
■成熟市場での革新
どのような業界も市場は成熟し、その規模は縮小している。しかし、成熟市場だからといって、あきらめることはない。
日本映画の劇的な復権は成熟市場での新たな価値を創造するチャンスもあることを示してくれている。
しかし、日本映画も「ガラパゴス化」が危惧される。日本映画の元気さは、アジアを含めた国際的な流れを考えると人材
を含めて危うさが漂っている。