今、「はとバス」が面白い

 

今、「はとバス」が面白い

東京観光の代名詞「はとバス」。現在の株式会社はとバスによる定期観光バス事業は1949年に産声を上げた。 以来、65年の長きに渡り、観光客の満足の向上に努め、はとバスの歴史は戦後の東京の街の歴史そのものとな っている。現在、資本金は4億5000万円、従業員数1000名、取扱高は155〜160億円。利用人数は、年間122万人。 日本人の約100人に1人は利用している計算となる。

■経営危機から再生への取り組み

はとバスの60年の変遷を見ると、1958年に東京タワーが完成して一挙に地方からのお客さまが押し寄せ、創業10年 で利用者数が94万人となる。その6年後には、東京オリンピックが開催。はとバスも最盛期を迎えた。そこが一つの ピークで以降は下降局面となった。1983年に東京ディズニーランドが開業し復活の兆しが見え、その後のバブルによ って94万人まで戻す。しかし、バブル崩壊後、1995年に阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件のダブルパンチで一気 に下降線をたどり、10年で半減。1998年には、4年連続の赤字で累積70億円の借金を抱えるという危機的状況を迎えて いた。

こうしたなか、まず「お客さま第一主義の徹底」。最高の商品とサービスを提供することでお客さまの満足と感動を 追求しよう、はとバスは単なる輸送手段ではなく、感動製造販売業に生まれ変わるべきだということを唱えた。2つ目 に「サービス向上への取り組み」。倒産の危機を迎えている最中に、1年間を通し社長以下、運転士からガイド、事務 スタッフまで全社員がCS研修を受講した。そこから160件ものサービス改善案を抽出し、それに取り組み始めた。つぎ に「安全・安心向上への取り組み」。当然ではあるが観光バス事業者は、徹底して安全と安心の優先をおこなわなけれ ばならない。最後に「営業戦略の転換」。はとバスは、地方からのお客さま中心というイメージが強く、確かにコアな 顧客層でもあることは確かだ。しかし、これからは首都圏在住のお客さまもターゲットにするという新たな転換を目指す。 すなわち日本の人口の3分の1に当たる4000万人に、いかにはとバスに乗っていただけるかという戦略に変えたのである。 コースコンセプトも、皇居、浅草、東京タワーという定番観光地への大量輸送という考え方しかなかったところに、 付加価値を付けた新しい価値観を創造するという考え方がプラスされた。これら取り組みが功を奏し、2001年の52万人と いう数字から、2006年頃には右肩上がりの基調を取り戻す、2012年には東京スカイツリーの開業、東京駅の復元工事も相 まって一気に25%ほど数字が伸び、わずか十数年でのV字回復を達成した。

■新たなターゲット、新たなコンセプト

従来は地方からのお客さまだけをターゲットにしていたが、首都圏の顧客にも目を向け、さらに、はとバス未体験のお客 さまも潜在需要を顕在化すべきお客さまと位置付けた。従来の商品コンセプトは、車両の運用効率の向上を図って、効率 よく観光地をめぐるだけであった。地方からのお客さまは、観光以外に冠婚葬祭や出張ビジネス、ディズニーランドなど を目的として来る方が多く、はとバス乗車が第一目的で来る方は5%程度と推定される。それなら本来の目的の合間に利用 してもらおうということで、利用しやすい時間と料金で定番人気の観光地はきちんと押さえるなど、きめ細かな商品が開発 された。また、首都圏のお客さま、プラス、何度も東京に来ている地方のお客さまに向けては、プレミアム感や独自性、 テーマ趣味などの非日常を体験できるような商品でなければ、心には響かない。巨大マーケットである東京(首都圏) 在住の方に、はとバスの都内定期観光バスは面白いと言わせる商品づくりと仕掛けが大事だということである。かつての 「地方の方々のためのはとバス」という常識を覆す、逆説にたどり着いたことが最も重要なポイントである。